去年、一昨年の制作状況は笑っちゃう…
描けない、書けないと悩み苦しみ
そのうちペンを持つことすら怖くなってしまって…
そんな毎日が続いた去年一昨年。
去年はひどかった。殆ど開店休業状態で。
そんな中…いつも温かく支えてくれたのは
妹のつびでした。
彼女も芸能関係の仕事をしていたので
私の苦しみに寄り添い、
一緒に解決方法を探してくれたり
気晴らしに食事を作ってくれたりと
献身的に接してくれました。
本当に助かりました。
メンタルが追い込まれた時の支え
こういうことを公にすべきでないと思いますが、
消えてしまいたくなるくらいに追い詰められていたので…。
自分には「この道しかない」と思い、
かといって方向転換する勇気もなくて
ぬるくなった湯にずっと浸かって、
真っ白な紙を眺めているという状態でしたね。
フットワークが軽いのに、妙に繊細なところがあるので
空気を読みすぎて自分の考えや行動を変えていくうち
「どれが本当の自分なんだ?」と悩み
「自分ってなんだ?」と哲学し、もがき。
考えることで苦しみを遠ざけて、
逃げの姿勢に自己嫌悪して…と苦しんでいました。
そんな時何より支えになったのは、やはりつびだったと思います。
ようやくバッテリーが満タンになりました
「高性能の精密機器のように自分を扱え」
と著名な方がおっしゃっていました。
「いつもアンテナをはって、好奇心を満たしているが
自分の心身について無頓着すぎて
知らず知らずのうちにバッテリー不足になって
突然電源が落ちてしまう」のだと。
だから、冷却させて充電してから
起動しバグが起こっていないか確かめたほうがいい。」
高性能かどうかは分かりませんが、
たしかに精密機器だと思えば、色々なことが繋がる気がします。
無気力で自分を追い込んだ
→休んだつもりなだけで心身を酷使していた。
消えてしまいたい
→物事を受け入れる余裕がない(バグ)
あれだけ出来なかったのに、今年は出来る
→正しい使用方法に則って起動したから
(充電満タン)
こうして考えてみると、去年の色々なポンコツは
性能の問題ではなくて(それもあったと思うけど)
メカの使い方を間違えていただけなんじゃないかって思えます。
電卓にスピーカーの役割を持たせようと、
ずっと高電圧かけてたら…いつか壊れますよね。
電卓の機能すら果たせなくなってしまう。
まずは自分を幸せにしようと固く誓う
そんな感じで、去年の私は(一昨日も)姉妹の問題に
首を突っ込みすぎ、本業を頑張るべきだったのに
別の興味について調べたり頭を働かせすぎて
オーバーヒートしていたんだと思います。
「自分が頑張らないと」
「早く大成しないと」
と意気込みすぎて空回りしていたんですね。
ずっと家にこもって同じルーティンだったのも
正しく休めない要因だったように思います。
その頃にはセロトニンと発達の関連とか
分からなかったし。
考え方やメカニックは変えられないけれど
習慣を変え、自分の能力の使い方や
活動限界を見極めることはできます。
限界を迎える前にちょこちょこ休む。
自分にとっての幸福やときめきを集めて
ダウン時期に、自分自身にツッコミをいれられるように。
どん底を経験したから、もうそこまでいかなくても
自分をコントロールできると思います。
それもこれも、度重なる対話の中で
自分の考えをまとめる機会をくれた妹のおかげです。
ありがとう。また歩き出すね。